1945年8月終戦後、連合軍司令部が、日本語の表記をローマ字にさせようとしたが、日本人の
識字率のさを知り、それを取りやめた・・何かの本で読んだ記憶があります。「日本人の識字
率について、司馬・キーン両氏の対談「世界の中の日本」で、キーンさんは次のように述べます。
日本人は印刷の技術を奈良朝時代から持っていて、お経を印刷していたが文学を印刷すること
はなかった。近世になって「古今集」や「源氏物語」が印刷され、読めるようになったのは大変な
ことであった・・近世の日本は、ヨーロッパのどの国よりも本を読むことが多かった・・ヨーロッパ
は、26の文字しかないのに教育はあまり進んでいなかった・・その頃の日本の読書人は世界で
一番多かったと思う。
対して司馬さんは「原因の一つは、中国や朝鮮と違い日本には科挙の制度がなかったからかも
知れない」とこたえ、次のようなことを述べます。「科挙の制度があると、優秀な秀才がそこに
参加するだけで、そうでない人は本を読まないようになる。日本にその制度がなく、西鶴の時代
には、字を習わないと番頭さんになれない。帳面をつけられないし、勘定ができない。船乗りに
なっても船頭さんになれない・・それで字を習う。おそらく江戸時代で一番識字率が高かったのは
大坂と思う。大坂は町人の町、千石船が出ていく町で船乗りになる人も多かった。だから、読み
書き・そろばんの塾が多かった」。
冒頭に、日本語表記をローマ字にする・・と言う考えは、明治維新前後からあった・・といいます。
石川啄木は、日記をローマ字だけで書き続けたそうですが、彼もローマ字派だったのでしょう。
キーンさんが言うには、「日本語としての一番の危機は、おそらく奈良朝の次の世紀であった。
西暦で言うと九世紀で、その頃一番中国文学が流行っていて、場合によっては日本文学がそこ
で消えたかもしれない・・」と述べています。以下は、長文になるのでこの辺で終わりにします。
私的には、漢字・二種の仮名・ローマ字が混在する今の表記が続けられてよかった・と思います。
お送りするレシピは「このわたの塩辛」です。わたしの生家は瀬戸内の漁村が近くにあり、そこは
ナマコの好漁場でした。幼少よりナマコに親しみ、このわた・このこが好物でした。今は漁獲が減
り高価な食材になりました。ナマコは好き嫌いがあり、「はらわた」などは尚更でしょうが、好きな
人は、高くても買い求める珍味です。レシピはお遊びのつもりでご覧下さい。
いきつけの鮮魚店に行ったのは、15時前の閉店間際でした。数点買い求めた中に赤ナマコが
1尾・・トレーの中にナマコの腸が浮いていて、一緒に頒けて欲しいと言うと「どうせ捨て物」だから
お代は要らないとオマケしてくれました。これを丁寧に処理して「このわたの塩辛を」つくりました。
材 料
なまこの腸120g
日本酒適宜
粗塩適宜
みりん適宜
作り方
塩水で洗う
このわたを4%の塩水に浸し、しばらく置く。
腸管と卵巣を分けて、器にとる。
腸管の1本を左手でつまみ、右手の親指と人差し指
で軽くはさんでしごき、腸管の中の泥と腸を落とす。
・・強くすると腸管が千切れるので、柔かくしごく・・
卵巣には泥などの汚物がないので、洗うだけでよい。
日本酒で洗う
塩水で洗ったこのわたと卵巣を、日本酒で洗う。
・・塩・日本酒を使うのは、腐敗を防止するため・・
塩辛を作る
卵巣=「このこ」と言い、ロープにかけて干したのを
「干しこ」と言い、炙って食べると絶品ですが、40g
と少量なので「このわた」と合せ、塩辛にします。
保存がきく蓋つきの器に、酒洗いしたこのわたと卵巣
を入れ、粗塩、日本酒に少量のみりんを加えて混ぜる。
ふたをして、冷蔵庫内に保存・・時々混ぜる。
食べられるのは・・
作ったその日からでも食べられるが、ほんの一筋ずつを
酒の肴にして、日々変わる味の変化を楽しんで欲しい。
・・このわたが好きな方には堪らなくおいしい塩辛です・・
識字率のさを知り、それを取りやめた・・何かの本で読んだ記憶があります。「日本人の識字
率について、司馬・キーン両氏の対談「世界の中の日本」で、キーンさんは次のように述べます。
日本人は印刷の技術を奈良朝時代から持っていて、お経を印刷していたが文学を印刷すること
はなかった。近世になって「古今集」や「源氏物語」が印刷され、読めるようになったのは大変な
ことであった・・近世の日本は、ヨーロッパのどの国よりも本を読むことが多かった・・ヨーロッパ
は、26の文字しかないのに教育はあまり進んでいなかった・・その頃の日本の読書人は世界で
一番多かったと思う。
対して司馬さんは「原因の一つは、中国や朝鮮と違い日本には科挙の制度がなかったからかも
知れない」とこたえ、次のようなことを述べます。「科挙の制度があると、優秀な秀才がそこに
参加するだけで、そうでない人は本を読まないようになる。日本にその制度がなく、西鶴の時代
には、字を習わないと番頭さんになれない。帳面をつけられないし、勘定ができない。船乗りに
なっても船頭さんになれない・・それで字を習う。おそらく江戸時代で一番識字率が高かったのは
大坂と思う。大坂は町人の町、千石船が出ていく町で船乗りになる人も多かった。だから、読み
書き・そろばんの塾が多かった」。
冒頭に、日本語表記をローマ字にする・・と言う考えは、明治維新前後からあった・・といいます。
石川啄木は、日記をローマ字だけで書き続けたそうですが、彼もローマ字派だったのでしょう。
キーンさんが言うには、「日本語としての一番の危機は、おそらく奈良朝の次の世紀であった。
西暦で言うと九世紀で、その頃一番中国文学が流行っていて、場合によっては日本文学がそこ
で消えたかもしれない・・」と述べています。以下は、長文になるのでこの辺で終わりにします。
私的には、漢字・二種の仮名・ローマ字が混在する今の表記が続けられてよかった・と思います。
お送りするレシピは「このわたの塩辛」です。わたしの生家は瀬戸内の漁村が近くにあり、そこは
ナマコの好漁場でした。幼少よりナマコに親しみ、このわた・このこが好物でした。今は漁獲が減
り高価な食材になりました。ナマコは好き嫌いがあり、「はらわた」などは尚更でしょうが、好きな
人は、高くても買い求める珍味です。レシピはお遊びのつもりでご覧下さい。
いきつけの鮮魚店に行ったのは、15時前の閉店間際でした。数点買い求めた中に赤ナマコが
1尾・・トレーの中にナマコの腸が浮いていて、一緒に頒けて欲しいと言うと「どうせ捨て物」だから
お代は要らないとオマケしてくれました。これを丁寧に処理して「このわたの塩辛を」つくりました。
材 料
なまこの腸120g
日本酒適宜
粗塩適宜
みりん適宜
作り方
塩水で洗う
このわたを4%の塩水に浸し、しばらく置く。
腸管と卵巣を分けて、器にとる。
腸管の1本を左手でつまみ、右手の親指と人差し指
で軽くはさんでしごき、腸管の中の泥と腸を落とす。
・・強くすると腸管が千切れるので、柔かくしごく・・
卵巣には泥などの汚物がないので、洗うだけでよい。
日本酒で洗う
塩水で洗ったこのわたと卵巣を、日本酒で洗う。
・・塩・日本酒を使うのは、腐敗を防止するため・・
塩辛を作る
卵巣=「このこ」と言い、ロープにかけて干したのを
「干しこ」と言い、炙って食べると絶品ですが、40g
と少量なので「このわた」と合せ、塩辛にします。
保存がきく蓋つきの器に、酒洗いしたこのわたと卵巣
を入れ、粗塩、日本酒に少量のみりんを加えて混ぜる。
ふたをして、冷蔵庫内に保存・・時々混ぜる。
食べられるのは・・
作ったその日からでも食べられるが、ほんの一筋ずつを
酒の肴にして、日々変わる味の変化を楽しんで欲しい。
・・このわたが好きな方には堪らなくおいしい塩辛です・・